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女川向学館 1 教育発、まちづくりへ

2022.08.03
 JR石巻線の終着駅、女川(宮城県女川町)の駅前は、商業施設「シーパルピア女川」が海へ延びる。夜になると、昼間のにぎわいが消え、ほとんどの店が閉まり、ひっそりする。
 だが、その一角がこうこうと光る。放課後学校「コラボ・スクール 女川向学館」だ。4月下旬、ジャージー姿の女川中の生徒9人が机にテキストやプリントを広げ、問題を解いていた。
 男子生徒のペンが止まった。かっこの中に英単語を入れる問題に悩んでいる。見回っていた芳岡孝将(たかのぶ)(37)がすっとそばに寄り、ひとこと、ふたこと、アドバイス。生徒は「うんうん」とうなずき、再び解き始めた。
 スタッフは20~30代の大学生ら数人。授業の合間にある5分間の休憩に、生徒たちは年の近い「兄」や「姉」を囲み、日々の生活の悩みや進路の話を交わす。
 この日はスタッフの一人が自らの海外旅行の経験を元に、ゴミのポイ捨てについて話していた。「日本ではダメだが、禁止すると、拾う人の仕事がなくなる国もある」。まるで比較文化論の講義。生徒たちも興味津々だ。
 「はい、休憩終わり!」
 芳岡が声をかけると、生徒たちは机に戻り、また学習を始めた。2年の関根凜人(13)は「(向学館は)いつでも自由に勉強できて、気軽に話せる大事な場所」という。
 11年前の東日本大震災で女川町は高さ20メートル近い津波に襲われ、当時の人口の8・3%にあたる827人が死亡・行方不明となった。町の住宅の約9割が被災し、主産業の漁業や水産加工業は壊滅的な打撃を受けた。
 避難者は一番多いときで、町民の2人に1人に上った。学校は震災翌月に再開したが、避難所から通う子も多く、子どもたちは路上にノートを広げて勉強していた。
 震災直後、現地入りした教育系の認定NPO法人「カタリバ」(東京都)の代表理事、今村久美(42)が町教育委員会と話し合い、2011年7月、旧女川一小の1階に放課後の子どもの居場所と学習支援のため開いたのが「女川向学館」だった。
 若いスタッフやボランティアが「先生」を務めて、主に小中学生の学習を支援。カタリバによると、利用者は開設10年で600人超。町の子どもの2人に1人が利用登録していたという。
 14年には、多様な教育の取り組みを後押しする「第15回朝日のびのび教育賞」にも選ばれている。
 向学館の運営は今年4月、カタリバから地元の手に委ねられた。震災から年月が経ち、バトンタッチした方がいいという判断だ。受け皿となったのが、芳岡が代表理事となって立ち上げた一般社団法人「まちとこ」だ。
 芳岡は震災翌年の4月にカタリバの職員となり、向学館に赴任。ほとんどを女川で過ごし、拠点長も務めた。その経験から今回、独立して自ら運営を買って出た。
 カタリバ時代と同様、月謝を取らない運営を貫く。「経済状況にかかわらず、誰でも通える」というのが理念だからだ。
 資金繰りは手探りだが、芳岡は、向学館を単なる学びの場としてだけではなく、子どもや卒業生、まちの若者が集い、未来を語り合う拠点にしたいと、夢を描く。
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 女川町は震災で人口が約4割減った。11年が経ち、世間の関心が薄れる中、若者たちの新たな挑戦が始まった。(星乃勇介)