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御巣鷹の登山道整備 事故40年の夏に向け藤岡署員ら
2025.06.07

1985年に日本航空のジャンボ機が墜落し、乗員乗客520人が犠牲となった群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」で7日、地元警察署の群馬県警藤岡署員らを中心とした有志の県警職員ら20人が集まり、登山道を整備した。「経験を伝承していきたい」。40年前に対応した警察官も汗を流した。
上野村を管轄し、事故当時は最前線で対応にあたった藤岡署では2022年からボランティアで登山道整備を始め、今年で4回目。元藤岡署員で、今は警察本部やほかの警察署で勤務する警察官らも駆けつけた。
御巣鷹の尾根は11月中旬から4月下旬まで閉山する。その間には落ち葉がたまり、雪も積もる。管理人を務める黒沢完一さん(82)はまだ雪が残る3月ごろから登山道の状況を確認するために山に入る。雪が溶けたら、ボランティアらとまず登山道の落ち葉や落石を取り除く作業にいそしむ。その後、雪の重みで折れたり曲がったりした墓標の支柱を直したり、取り換えたりする。「山開きまでに、訪れた遺族が安心してお参りできるようしたい」との思いからだ。
そして、登山道に作られた階段や手すりなどの修繕を進め、命日の8月12日を迎える。この日は山の木から切り出した長さ3~4メートルの丸太14本を、高台にある慰霊碑「昇魂之碑(しょうこんのひ)」の付近まで担いで運んだ。階段を形作る丸太や、斜面の土が崩れないようにせき止める土留(どど)めに使う予定だという。
この日の最年長で藤岡署地域課藤岡交番の藤澤正留(まさる)巡査部長(61)は、事故当時も藤岡署地域課で交番勤務をしていた。勤務中だった夕方、テレビの速報テロップで事故を知った。その直後に招集がかかり、現場近くのぶどう峠で、山上と上野村役場に置いた本部との連絡を無線でつなぐ仕事などに従事。遺体の運搬にも携わったという。40年ぶりに事故現場を訪れ、「あのときは道なき道を行くような山だったが、すっかりきれいになった。これだけきれいに整備されていれば、遺族も安心して来ることができるだろう」。
最年少の藤岡署刑事課の高橋政稀巡査部長(33)は「生まれる前だが、大変な事故だったと聞いている。風化することがないように、私より若い世代の人にも伝えていきたい」と話した。
当時、高崎署交番勤務で、遺体の身元確認や遺族からの聴き取りに従事したという田中晶藤岡署長(59)は「あと何年かで、御巣鷹の事故のことを経験した職員もいなくなる。こうした活動を通して、若い職員に伝承していきたい。遺族に寄り添う気持ちが養われて、普段の事件事故対応にもきっと生かせるはずだ」と語った。(中沢絢乃)
上野村を管轄し、事故当時は最前線で対応にあたった藤岡署では2022年からボランティアで登山道整備を始め、今年で4回目。元藤岡署員で、今は警察本部やほかの警察署で勤務する警察官らも駆けつけた。
御巣鷹の尾根は11月中旬から4月下旬まで閉山する。その間には落ち葉がたまり、雪も積もる。管理人を務める黒沢完一さん(82)はまだ雪が残る3月ごろから登山道の状況を確認するために山に入る。雪が溶けたら、ボランティアらとまず登山道の落ち葉や落石を取り除く作業にいそしむ。その後、雪の重みで折れたり曲がったりした墓標の支柱を直したり、取り換えたりする。「山開きまでに、訪れた遺族が安心してお参りできるようしたい」との思いからだ。
そして、登山道に作られた階段や手すりなどの修繕を進め、命日の8月12日を迎える。この日は山の木から切り出した長さ3~4メートルの丸太14本を、高台にある慰霊碑「昇魂之碑(しょうこんのひ)」の付近まで担いで運んだ。階段を形作る丸太や、斜面の土が崩れないようにせき止める土留(どど)めに使う予定だという。
この日の最年長で藤岡署地域課藤岡交番の藤澤正留(まさる)巡査部長(61)は、事故当時も藤岡署地域課で交番勤務をしていた。勤務中だった夕方、テレビの速報テロップで事故を知った。その直後に招集がかかり、現場近くのぶどう峠で、山上と上野村役場に置いた本部との連絡を無線でつなぐ仕事などに従事。遺体の運搬にも携わったという。40年ぶりに事故現場を訪れ、「あのときは道なき道を行くような山だったが、すっかりきれいになった。これだけきれいに整備されていれば、遺族も安心して来ることができるだろう」。
最年少の藤岡署刑事課の高橋政稀巡査部長(33)は「生まれる前だが、大変な事故だったと聞いている。風化することがないように、私より若い世代の人にも伝えていきたい」と話した。
当時、高崎署交番勤務で、遺体の身元確認や遺族からの聴き取りに従事したという田中晶藤岡署長(59)は「あと何年かで、御巣鷹の事故のことを経験した職員もいなくなる。こうした活動を通して、若い職員に伝承していきたい。遺族に寄り添う気持ちが養われて、普段の事件事故対応にもきっと生かせるはずだ」と語った。(中沢絢乃)