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藤原氏ゆかりの中尊寺ハスに平和の思い重ねる 国見町の氏家さん
2025.08.05

蓮(はす)開く音聞く人か朝まだき
静寂な朝に、ハスの花が開く音を期待して待つ人を描写した正岡子規の俳句だ。ハスの花は朝に咲き始め、満開となり、その日のうちにつぼみに戻る。短い時間で花が膨らむ様子から、開花の音を思い浮かべて詠まれた句は多い。
「古代ハス」が各地で人気だが、福島県内で評判のひとつが、国見町にある「中尊寺ハス」だ。古代ハスとは文字どおり、古代の地層などに眠っていた実が開いた花。中尊寺ハスは岩手県の中尊寺で命名された、別名「泰衡(やすひら)ハス」という古代ハスだ。
国見とのつながりは、鎌倉時代に、さかのぼる。1189年の奥州合戦で、奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされた。最後の当主、藤原泰衡は首をはねられたが、藤原氏が建てた中尊寺の金色堂が1950年に調査された際、泰衡の首おけからハスの種が見つかった。93年に発芽が成功し、約800年の時をへてハスはよみがえった。
泰衡の軍が頼朝を迎え撃つために築いたとされる要塞(ようさい)「阿津賀志(あつかし)山防塁」(国指定史跡)が国見町にあり、中尊寺ハスが咲き誇る池は、その眼下にある。
町の陶芸家、氏家博昭さん(78)たち「文化財ボランティア」の研修で、泰衡つながりで中尊寺を訪れたのは17年前だった。中尊寺ハスの存在を知り、翌年、株を15本を譲り受けた。おけで2年間育て、この場所に植えた。いまでは45アールの広さに、数えられない中尊寺ハスが夏の時期、花を咲かせる。
「ハスは生命力が強く、混み合ってしまうので3分の1ずつ、毎年植え替え、大きな花を咲かせるようにしているんです」。そう話す氏家さんは、こう続けた。
「平和な世を築こうとした奥州藤原氏が、戦で命を落とす人々を弔うために建立したのが中尊寺でした。平和の大切さをハスを通して伝え続けたい」
ある朝、中尊寺ハスの前に立ってみた。「開花するときに、残念ながら音はしないんです」と氏家さんが教えてくれた。でも、古代からの長い歴史を感じ取ることはできた。(岡本進)
静寂な朝に、ハスの花が開く音を期待して待つ人を描写した正岡子規の俳句だ。ハスの花は朝に咲き始め、満開となり、その日のうちにつぼみに戻る。短い時間で花が膨らむ様子から、開花の音を思い浮かべて詠まれた句は多い。
「古代ハス」が各地で人気だが、福島県内で評判のひとつが、国見町にある「中尊寺ハス」だ。古代ハスとは文字どおり、古代の地層などに眠っていた実が開いた花。中尊寺ハスは岩手県の中尊寺で命名された、別名「泰衡(やすひら)ハス」という古代ハスだ。
国見とのつながりは、鎌倉時代に、さかのぼる。1189年の奥州合戦で、奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされた。最後の当主、藤原泰衡は首をはねられたが、藤原氏が建てた中尊寺の金色堂が1950年に調査された際、泰衡の首おけからハスの種が見つかった。93年に発芽が成功し、約800年の時をへてハスはよみがえった。
泰衡の軍が頼朝を迎え撃つために築いたとされる要塞(ようさい)「阿津賀志(あつかし)山防塁」(国指定史跡)が国見町にあり、中尊寺ハスが咲き誇る池は、その眼下にある。
町の陶芸家、氏家博昭さん(78)たち「文化財ボランティア」の研修で、泰衡つながりで中尊寺を訪れたのは17年前だった。中尊寺ハスの存在を知り、翌年、株を15本を譲り受けた。おけで2年間育て、この場所に植えた。いまでは45アールの広さに、数えられない中尊寺ハスが夏の時期、花を咲かせる。
「ハスは生命力が強く、混み合ってしまうので3分の1ずつ、毎年植え替え、大きな花を咲かせるようにしているんです」。そう話す氏家さんは、こう続けた。
「平和な世を築こうとした奥州藤原氏が、戦で命を落とす人々を弔うために建立したのが中尊寺でした。平和の大切さをハスを通して伝え続けたい」
ある朝、中尊寺ハスの前に立ってみた。「開花するときに、残念ながら音はしないんです」と氏家さんが教えてくれた。でも、古代からの長い歴史を感じ取ることはできた。(岡本進)