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【津屋一球さん】デフバスケと出会い、気づいたこと 「人のためになることがしたい」

男子プロバスケットボール「Bリーグ」の三遠ネオフェニックスで活躍する津屋一球さん。得意のスリーポイントを武器に、今年2月のFIBAアジアカップ2025予選で日本代表デビューを果たしました。生まれつき聴覚に障がいがある津屋さんは、社会貢献活動にも力を注いでいます。そのきっかけは、聴覚障がいのある選手がプレーする「デフバスケ」だったといいます。バスケや社会貢献活動への思い、取り組みについて聞きました。
プロバスケ選手になりたい。ハンデに負けず夢を実現

――バスケットボールのプロ選手になるという子どもの頃からの夢を叶えました。夢をあきらめずに続けてこられたのはなぜだと思いますか?
小学校に入学し、同級生や先生と話す機会が多くなると、「自分は人と違う」と感じるようになりました。当時、周りで補聴器を使っている人は僕だけで。なぜ、自分だけ違うんだろうと思っていましたね。そんな僕の心を支えてくれていたのがバスケでした。バスケで普通の人たちを超えたい。そう思うことで、自分の気持ちを保っていたんです。中学校、高校、大学と進学するにつれて周りのレベルも上がりましたが、誰にも負けたくないという一心で頑張っていました。
――デフバスケに出会ったきっかけは?難聴とどのように向き合ってこられたのでしょうか。
転機は高校3年生のとき。当時、デフバスケ男子日本代表の監督だった上田頼飛さんに誘われて、初めて聴覚障がい者のチームでプレーしました。それまでは自分以外にもバスケを続ける難聴の選手がいることを知らなくて。選手たちにはデフバスケの選手がトップレベルで活躍するのは無理だと思い込んでほしくない。「難聴の自分がトップで活躍することで、誰かの挑戦を少しでも後押しできるのではないか」という気持ちが芽生えました。その気持ちが今も頑張る糧になっています。

――初めてデフバスケをプレーして感じたことは何ですか?
聴覚障がい者の中でも、人によって聞こえ方はさまざま。そのため、デフバスケでは試合中に補聴器を外してプレーするというルールがあります。「無音の状態」での試合は本当に衝撃で。自分の声がチームメートに届かないし、相手選手が何を言っているのかもわからない。そんな状況でもひたむきにプレーを続ける仲間の熱意に感銘を受けました。
――津屋選手は、大学2年のときに出場したU21デフバスケットボール世界選手権で準優勝。最優秀選手にも選ばれました。
試合中、会話でコミュニケーションができないので、試合前にゲームプランをより細かく確認する必要があります。当時、僕は手話が全くできなかったので、作戦ボードとペンを使ってやり取りしていました。話せることが当たり前ではない環境でバスケと向き合い、改めてコミュニケーションの大切さを学びましたね。

――その経験は、今も生きていますか?
チームを作っていくためには試合中だけでなく、オフのときのコミュニケーションも大切。少しでもチーム内に亀裂があると絶対に優勝はできない。昨季(2024-25シーズン)の三遠はプレーに長けているだけでなく、人間性が素晴らしい選手に恵まれていて。コミュニケーションがよく取れたことも2季連続の中地区優勝という結果につながったと思います。

Bリーグの公式戦で活躍する津屋一球さん ©SAN-EN NEOPHOENIX
――津屋さん個人としても、2月のFIBAアジアカップ2025予選で日本代表デビューを飾りました。今後の目標を聞かせてください。
FIBAアジアカップ2025本戦のメンバーには選ばれませんでしたが、代表候補になれたのは体の強さとスリーポイントが評価されたからだと思っています。今はどの国もスリーポイントをすごく重視しているので、シューターとして誰にも負けないという気持ちで今後もやっていきたいです。
社会貢献活動を始めて気づいたこと

2025年3月、和歌山県で開かれたバスケットボールのイベントに参加する津屋一球さん。津屋さん提供
――津屋選手は社会貢献活動に熱心に取り組んでいます。最近では7月に静岡県浜松市の小学校でのバスケ教室に参加しました。社会貢献活動に関心を持ったきっかけは何だったのでしょうか?
デフバスケに出会い、「人のためになりたい」という思いが強くなりました。そういう意味では、難聴という障がいがあったからこそ、社会貢献活動に関心を持ったと思います。
初めて行動に移したのは、新型コロナウイルスが流行していた大学4年生のとき。僕は中学、高校、大学と自分のプレーを評価されて強豪校に入学することができました。しかし、コロナ禍で子どもたちはバスケの試合に出られず、実力をアピールする場が失われているのではと気になって。何かできることはないかと、得意なプレーを動画撮影してSNSに投稿してもらい、一番「いいね」が集まった人にプレゼントする企画を考えました。この行動に意味があったのかはわかりませんが、大学生の自分にできることを精一杯考えて行動に移しました。実践してよかったと、今でも思っています。
――他にはどのような活動をしてきましたか?
僕をデフバスケに誘ってくれた上田さんが立ち上げたNPO法人で、理事として運営に携わりました。聴覚障がいのある選手やBリーグで活躍するトップの選手たちが一緒に試合をするチャリティーイベントを企画したり、学校を訪問したり。
自分の行動で誰か一人でも前向きになってくれたらうれしいですね。一生懸命な姿を見て、こちらが気づかされることもあります。チャリティーイベントで実施したスタンプラリーでは、子どもたちが目標を達成するために、必死に考えて走り回っていました。こういう姿勢って大事だよなと改めて思いました。
最近は「自分の息子も難聴で……」「娘にもいろんなチャレンジをさせてあげたい」といったメッセージをSNS上でいただくことが増えています。バスケ選手として頑張ることもまた、自分が一番やりたい「人のためになること」につながるのを実感しています。
東京デフリンピックに期待 誰もがやりたいことにチャレンジできる社会に

――聴覚に障がいのあるアスリートが競う国際的な総合スポーツ大会「東京2025デフリンピック」が、今年11月に東京で開催されます。
デフリンピックにはいろんな競技があります。東京で開催されるこの機会に、ぜひ多くの方に見てもらいたい。僕は出場の予定がないのですが、デフバスケを観戦するなら、ぜひ会場で「無音のバスケ」を感じてほしいですね。選手同士の会話はほぼないのですが、プレー中に発する声にはそれぞれ個性があります。会話とは違ったコミュニケーションによる連携で得点が入ったときの気持ちよさは、デフバスケならではと言えます。
――どのように応援すると、選手に伝わりますか? 選手に向けて、両手を上げて手のひらをヒラヒラさせてください。手話で拍手を表します。目にした選手はうれしいはず。ボードでの応援もいいかも。応援する方々にも何かを感じてもらえる機会になればいいなと思います。
――大会を支えるボランティアを募集したところ、3000人の募集に対し、18,903人の応募があったそうです。
三遠にも試合会場の設営に協力してくださるボランティアの方たちがいて、とても感謝しています。勝つことが一番の恩返しだと思って試合に臨んでいます。支えてくださる方にはやっぱり喜んでもらいたいですから。
デフリンピックも、ボランティアの方がいなければ運営は成り立ちません。選手にも、会場に足を運ばれる方にも、ボランティアの存在を感じてもらえたらいいですね。

――津屋選手は、今後どのような社会貢献活動を行なっていきたいと考えていますか?
小学校でのミニバスケ大会など、バスケ関連のチャリティーイベントは今後も続けていきたいです。2024年7月に株式会社「puls28(プルスニ―ハチ)」を立ち上げました。「28」は背番号、「puls」は「脈」を意味し、生命の根源として欠かせない動作を象徴しています。この会社では、児童養護施設の子たちが将来、望む仕事に就けるような支援を行っていきたいと考えています。
大学生の頃に児童養護施設を訪問した際、働き口を探すのに苦労したり、良くない道に行ってしまったりする子も少なくないと聞き、何とかしたいと思いました。夢に向けてチャレンジできる環境を作ってあげたい。人種差別や障がい者への差別はなくならないし、平等な社会の実現は難しい。それでも、誰もが自分が望む方向に近づける社会になってほしいと思います。
――社会貢献やボランティアに関心があっても、最初の一歩を踏み出せずにいる人も少なくありません。そんなときは、何から始めてみるといいでしょうか?
自分がやりたいことは口に出す。その方が絶対にいいです。まずは誰かに話してみましょう。笑って聞き流す人もいるかもしれません。ただ、話した相手やその周囲に、自分と同じようなことに関心を持っていたり、既に活動を始めたりしている人がいるかもしれません。僕の場合は、高校3年生のときにデフバスケに出会ったことが、行動のきっかけになりました。言霊じゃないですけど、言葉には力がある。思いを口にするところから始めてみませんか。